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                                           2014.8.26

大学等の設置認可・届出行政の現状
〜混迷する現状を憂う/現場からのつぶやき〜


山 本 晴 夫
大学行政実務家


  大学等の設置認可申請業務については、すでに「学生の確保の 見通し等を記載した書類」について思うところを述べた(2014年4月15日)。
  今回は、大学等の設置認可と届出についてごく簡単にその全般を考えてみたい。

<事前規制について>
  規制緩和の方針に沿って高等教育においても“事前規制から事後チェックへ”という理念に基づき行政が対応することとなり、大学等の設置認可・届出行政は弾力化・簡素化が行われた。その是非は一概にいえないが、提出書類の簡素化という点ではそれなりに評価できると考えている。だが、事前規制については、校地・校舎の面積や専任教員数以外の量的基準がなくなっただけに、たとえば図書・設備についても「当該学科の教育研究に必要と判断されるもの」という抽象的な基準は、かえって審査を受ける側の心理的負担を増すことになったというべきか。事前規制の厳しさという本質そのものは、変わっていないのではないか。また、教育の質保証ということからいえば、事前規制は必要である。

  特に学科のカリキュラムや教員の審査については、厳しい審査があってもよいと思う。専任教員数についても、基準を満たさない大学等を認可することはあってはならないことであろう。学生の確保の見通しの事項を除き、これらの事項に留意事項が付されたまま大学等が認可され、ACにおいても同様の留意事項が継続することは誠に疑問である。また、一部の不心得な大学が不祥事を起こすたびにその都度規制が厳しくなることは、まじめに基準を満たすために努力している多くの大学にとっては迷惑この上ない。

<事後のチェックについて>
  また、事後のチェックについては、設置認可の際及びAC期間の留意事項、認証評価などによりその目的が達成されるとされている。認証評価が一定の役割を果たしていることは事実であろう。だが、そのための事務的な負荷の大きさは、改善されなければならない。大学の質の保証という大きなテーマに今ここで挑戦する能力も勇気もないが、7年ごとの認証評価の際の苦労を今後も永遠にするのであれば、事前規制をもとのままにしてもらった方がまだよかったというのが実感である。

<これからについて>
 2009年の日本の高等教育機関への進学率は56%である。また、日本の国内も日本を取り巻く世界の状況も大きく変化している。そこで大学の果たす役割も変わらなければならない。しかしそれは、いたずらに産業界の求める短期的・短絡的な役割のみに左右されてはならないし、大学等の設置認可行政は、大局的な日本の目指すべきに方向に沿って行われなければならないと思うのである。それを思うと現在の設置認可行政は、本質的には従来の大学に求められていた事前規制を維持しつつ、事後のチェックとして定量的な、もっといえば形式的な認証評価というという膨大な事務量を大学に課しつつ、現在に至っているといえるのではないか。

  繰り返しになるが、“事前規制から事後チェックへ”という理念は、現場で見る限り事前規制は本質的には温存され、事後チェックはその機能が有効に働いていないように見受けられる。“事前規制から事後チェックへ”という理念そのものが高等教育においては正しかったのか。すでに破綻しているといったら言い過ぎだろうか。
  日本における大学・短大は青年期の教育機関を脱却していない。18歳人口が205万人から120万人に激減し、さらに100万人台になろうとしている情況を直視すべきである。国立大学及び大規模私立大学は、学士課程の定員を縮減し、留学生枠に大幅にシフトしていただきたい。コンパクトにして、特に地方圏で精励している大学・短大を地域の知的インフラとして大切にすべきであろう。2015年以降の高等教育のグランドデザインのなかで設置認可行政を再度見直すべきではないか。また、大学関係者自身の積極的な政策提言が重要と言えよう。

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