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書評 武田 秀司 著『大学史の周辺』


池 田 憲 彦
元 拓殖大学創立百年史編纂室主幹




 かねて刊行が望まれていた表題の著作がやっと刊行された。冒頭に、まず慶賀したい。地味な作りだが、その内容は近現代日本の学制面から見た高等教育通史であるとともに、年史編纂の意義付けから年史編纂の作り方のノウハウに及ぶサービスぶりである。それだけの内容を二〇〇ページに満たない分量に盛り込んでいるから、読み手にはかなりの前知識と理解力を必要とされる。
 著者は拓殖大学創立百年史編纂室の仲間であった。私の不徳の致すところで職責を離れた後に、武田氏は編集委員として百年史編纂を継続し完了させた。今回のこの著作を見れば、拓殖大学百年史の作業の水準がどの程度の学問的な背景とともに、実務上の知識の用意があって推進されたことが容易に想像されるであろう。

 百年史編纂の責任者として拓殖大学に戻ってほしいと当時の理事長から要請されて受託した際、百年史記念事業の一環としての年史の作業はどの程度着手されていたかを調べた。委員会は学内の関係者を網羅的にならべていたが、それだけ。包装紙はあっても内実はなかった。
 ところが一度だけ外部講師を呼んで編纂問題について委員会でレクチャーを受けていた。そのテープ起こしの生の記録があった。講師はなんと寺ア昌男教授であった。その内容を読んで愕然とした。教授の指針に沿ってやれば編纂事業は問題がなく進捗するはずなのである。せっかくのテキストがありながら、なぜ百年史編纂事業が進まないのか、理解に苦しんだ。私など必要としない。教授の指針は、本書の巻頭言にも明記されている(※)。

 <沿革史の編纂は各大学が自らのアイデンテイテイーを確認する作業である> 折角レクチャーを受けながら、誰も我が事として聞いていなかったことになる。指針があってもそれを具体化するには多くの障害があるのは浮世の常である。返り新参にはいろいろと地雷が埋められていた。先回、去るとき多少は学んだつもりだったが、体質は変わっていない以上は隘路は健在である。事業を進めるには、学内政治を乗り越えなくてはならない。
 非常勤理事に木田宏・元文部次官がおられた。国際派として著名だった。編纂室の顧問就任をお願いするために面会した。意のあるところを説明した。静かに聞いた上で、趣旨はわかった、但し貴方の意図が大学内でコンセンサスを得て通るとは思えないとの感想を淡々と漏らした。食い下がって了承を得た。次官まで行かれた方だから、環境の把握力は早い。
 寺ア先生にも顧問をお願いすることにした。お願いする私にあっさりと受けてくれた。ありがたかった。ここまでは順調だった。いつもながら、学内政治は厄介だった。先回と同様に決裁が降りない。身動きができない。これも理事長が編纂室長を兼任することになり解決した。一年以上が無駄に過ぎていた。態勢が整うと後は順調だった。六年後に醜聞に巻き込まれるまで、だったが。その間に作業工程の輪郭を築けたのはありがたかった。閑話休題。

 自校史とは、即ちアイデンテイテイーを明らかにするには、欧米の大学と違い、日本の場合は近現代の特殊性がある。日本の高等教育は近代の場合は文明開化の担い手の役割を背負わされた。実用重視である。The Westからの移入学優先である。ここに官学と私学の立場の違いと共有があった。著者は、主に私学に力点を置いて「私立高等教育機関関係法制度の変遷」を明らかにする。ここでは近代だけではなく、現在の学制に多大な影響をもたらしている、三四半世紀前の敗戦と占領下での変革の内容に及んでいる。
 日本が降伏調印をした際の当時の米国務長官バーンズがNYT紙の記者に答えた見解にまで視野に入れている。軍事占領下にあった戦後の教育制度改革の無視できない怖い一面である。「法制度の変遷」の分量は百ページを占めて本書の半分を越える。著者の問題意識の背景を十分に知ることができる。

 そうした近現代史認識を踏まえて、二部は「大学史編纂の現代史的な意義」である。このチャプターを設けた理由を「『大学史の編纂手法』というところから『大学史(自校史)』をみつめている」(論点の整理)。この視点は意外性に満ちていて、著者の力量を物語っている、というのは身贔屓であろうか。年史編纂という課題を抱えている者にとって、つまりは実用性を欲する読者にとってはありがたい接近方法である。

 こうした学問的な探査を経た上で、最後に「大学史 沿革史 自校史よもやまばなし−−年史・史誌の編集、本づくりの経験から」で、一挙に具体技法に移る。数十年に及ぶ編纂の現場経験を踏まえてのものなので、実用性に富んでいる。編纂作業に取り掛かる者にはすぐに役立つ内容である。初出はFMICS(高等教育問題研究会)の会報「BIG EGG」に発表されていた。本書に再録するために推敲して加筆もした、と記している。
 以上、私事も加えて本書の重要な部分を紹介した。

 現在、当然になっている少子化現象に現行の大学は対応できるとは思えない。大学倒産が目前にきつつある。経営者はバブル時代に壮年期を経ている。縮小に備える経営学を知らない。文科省の官僚も同様である。与野党の選良? も。
 この誰もが経験したことのない状況に私学だけでなく官公立の大学も直面しつつある。どうしたらいいのか。誰もが見ようとしない。視野に入らなければ問題はない、とでも思っているようだ。前例のない状況に嵌まり込みつつある。月並みな言い方だが、近代日本が大学の建学にどのように取り組んだのか、その初心を問うしかないと思う。本書の題名は「大学史の周辺」だが、本書の提起しているのは、周辺ではなく編纂作業により浮上する本質問題である。

(R3.6.26.)




寺ア昌男「大学沿革史―その刊行にはどんな意味があるのか」
 (KKJ“私論公論”の場 <56> 2020年8月30日)

□ 本書の著者
   武田 秀司氏/元 学校法人拓殖大学創立百周年史編纂室編集委員

□ 本書の概要・体裁
   ・A5版 206頁
   ・詳細(PDFファイル)

□ 本書の発行・発売元
   ・一般社団法人 大学自慢

□ 本書の申込方法
   ・詳細(PDFファイル)



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